カンパラ(ウガンダ)に新設されたロータリー平和センターに最初の平和フェローが到着し、アフリカにおける新たなロータリーの歴史が始まる
2月の最終週、ウガンダのカンパラで15名のロータリー平和フェローがマケレレ大学に集まり、新しい平和センターの発足式が行われました。この平和センターの第一期生は11カ国から集まり、英語のほか、ルガンダ語、スワヒリ語、ズールー語などアフリカの12の言語を話します。Kampara Naalyaロータリークラブ会員で、マケレレ大学平和センターのホストエリア・コーディネーターを務めるアン・ンクツさんは、「多様なバックグラウンドを持ちながらアフリカの平和を共に願う彼らは、まさに多様性の中の結束を象徴しています」と話します。
これらフェローの平均年齢は40歳。新米の平和構築者ではなく、平和と開発の分野で最低5年の経験を積んだプロフェッショナルです。平和・紛争研究の確立されたプログラムを有するマケレレ大学に入学したフェローは、すでに職場や地域社会で平和や社会変革を推進する取り組みを行ってきた経験を有し、あるいはそのためのアイデアを持っています。平和センター所長のヘレン・ナンバリルワ・ンカバラさんは、「フェローは、平和構築の実践的な側面に関心をもっています。理論的なことに関心のある一般の学生とは対照的に、彼らは実践の場で物事がどのように行われるかを知りたいと感じています。彼らは変革をもたらす力です」
マケレレ大学に到着する前に、平和フェローは2週間のオンラインセッションを受けて学業を開始しました。これは、平和構築、紛争解決、開発分野におけるロータリーの新しい1年間の修了証プログラムの第1段階です(バンコクのチュラロンコーン大学にある平和センターでは、これまで3カ月間の修了証プログラムを提供していましたが、今後はこの新しいモデルを採用します)。カンパラでの10週間のセッションの後、フェローは帰国し、講師や仲間のフェローと定期的に連絡を取りながら、社会変革の取り組みを開始します。その後、2022年初頭にマケレレ大学に戻り、プログラムを修了する予定です。
Rotary誌は今年初め、カンパラへの出発を控えた平和フェロー6人に話を聞きました。アフリカの歴史・政治に関して、フェローは実に深い見識をもっています。マケレレ大学での研究を終え、学んだことを携えてえてアフリカ大陸中に散らばっていくフェローの姿を想像すると、アフリカの大きな可能性を感じずにはいられません。
ペイシェンス・ルサレ(Patience Rusare)
ルサレさんが生まれ育ったジンバブエで初めて部族問題に直面したのは、小学校1年生のときでした。Ndebele族が支配する街Bulawayo市に住むShona族の一員である彼女の家族は、近隣の人びとと同じように地元の言葉を話すことができませんでした。「授業で質問に答えたら、ほかの子どもたちが笑って私のことを蔑称で呼んだのです」と現在32歳のルサレさんは振り返ります。「家に帰って、私たちの何がおかしいのかと両親に聞きました。緊張状態は家庭で生まれ、そして子どもがそれを学校にもってくるのです」
25年が経った今、ルサレさんはHarare市を拠点とする新聞社「The Patriot」の編集者で、政治ジャーナリストでもあります。ビジネス関連の記事を長年書いてきた彼女は、2013年に焦点を変え、2014年と2015年にレソトとマリで起きた政治的危機、2016年のウガンダでの敵対的な選挙、2017年に母国ジンバブエで起きたクーデターなどの紛争を取材するようになりました。その際、それらの状況を説明するために、何十年も前にさかのぼる根本的な問題に着目することも頻繁にありました。
「みんな十分な情報を得ないで判断していました。情報がないと人は自暴自棄になり、簡単に操られてしまいます」。ルサレさんは、公平な立場から記事を書くうちに、記事の情報と公共政策の間に直接的な相関関係があることに気づき始めました。レソトでは、ボツワナに拠点を置く政府機関Southern African Development Communityの調停によって解決が図られましたが、それは『The Patriot』誌に書いた記事が影響していると彼女は言います。「私は本当に世界に良い変化をもたらしたと思っています。レソトには永続的な平和が築かれています」
民族に関係なく、皆が互いに愛しあえる世界、そして多様性がある一方で皆が一つになれる世界で、子どもたちには育ったほしいのです
Patience Rusare
2019年、彼女は「平和の取り引きにおける細やかなこと」を学びたいと考え、平和・リーダーシップ・紛争解決分野の修士号を取得しました。「メディアを使って、より公正で平和な世界を作ることを自分に誓いました」
ジンバブエでは、2020年に予定されていた特別選挙が近づくにつれ、ルサレさんが幼い頃に経験した部族間対立が激しさを増しています。彼女は、社会変革の取り組みを通じて同国のジャーナリズムを変えたいと考えています。「私たちは、『血を流して前進する』という考えを捨て、平和の実践者として行動しなければなりません」とルサレさん。「積極的平和のストーリーは、人の興味を引く内容であれば読んでもらうことができます」。彼女には計画があります。それは、20人のジャーナリスト(Ndebele族とShona族の両方を含む)に紛争報道のスキルを教え、それらのジャーナリストを通じて部族内でジャーナリストを養成してもらうことで、この平和的なアプローチを国中、そしてより幅広い地域へと広げていくことです。
8歳と3歳の子どもがいる彼女は、「自分が経験したことを子どもたちには経験させたくない」と話します。「民族に関係なく、皆が互いに愛しあえる世界、そして多様性がある一方で皆が一つになれる世界で、子どもたちには育ったほしいのです」
ピーター・パル(Peter Pal)
ピーター・パルさんは、自身のトラウマについて語るのが苦手です。1989年に祖国スーダンの内戦から逃れ、愛する家族や友人が亡くなるのを目の当たりにし、エチオピアの難民キャンプで11年間、生き延びること以上の目標を持たずに過ごしたこと。悲惨な体験です。それを彼は、驚くほど率直に語ってくれました。強くなるために、生き抜くことを学ぶのだと、彼は言います。
2001年に収容所を出て、オーストラリアに移住した日のことを語るパルさん。その姿を見て、あなたは彼がもう後ろを振り返ることはないと思うかもしれません。しかし、それは間違いです。「南スーダンを安定させ、現地の人たちの生活を向上させたい」と、52歳のパルさんは語ります。「支援する機会があれば、私は行動します。私もかつては支援を必要とする一人だったからです」
パルさんは、オーストラリア南東部のビクトリア州選挙管理委員会の地域教育担当者として、平和構築と外交の訓練を受けています。「選挙のプロセスは、良い政府、正しいリーダーシップの選択、そして民主主義を行使する方法を学ぶために非常に重要です。人には、自分にとって何が正しいのかを最終的に決定する権利があります」。ロータリー平和フェローシップの話を聞いたとき、彼は。自分のスキルを世界的なレベル、そして8,000マイル離れた母国で生かせると考えました。
2017年に南スーダンを訪れたパルさんは、以前は健康的な農村だった地域が、必要な医療施設や教育の機会がないまま都市化されていることに衝撃を受けました。小さな町は、政府から完全に無視されていました。彼は、戦争や部族間の争いがないというだけでなく、医療や食料、水などの基本的なサービスが利用でき、安定した状態としての「平和」を促進することで、こうした放置状態を解消したいと考えています。「基本的なものが欠如したとき、人は争います。このような平和があってこそ、教育を広めることができます」
パルさんは、社会変革の一環として、平和構築の専門家と協力して代わりとなる紛争解決方法を模索する予定です。特に注目しているのは、南スーダンの危機が続く中、最も弱い立場にある母子の尊厳を取り戻すことです。「アフリカでは、無知ゆえに母子の人間性が失われている」とパルさんは話します。「女性は、子どもの繁栄を支えられないような状況での出産を余儀なくされています。政治にも十分に参加できず、無謀な戦争で被害を受けるのは彼女たちです」
パルさんはこれまでの経験にもかかわらず、希望を持ち続けています。それはなぜか。20年前、彼はアフリカの激しい内戦から逃れ、今、平和構築の任務のために戻ってきました。「私たちが楽観的になれなければ、社会全体のためのアイデアを探すより、自分の手の中にあるものに気を取られてしまうでしょう。南スーダンだけでなく、アフリカや世界を視野に入れなければなりません」
ジュ―・ムーンデ(Jew Moonde)
アフリカ南部の民主主義国であるザンビアは、女性の権利に関する実績では知られていません。ジュウ・ムーンデさんの説明によると、この国には家父長制の価値観が深く根付いており、伝統的に女性をさまざまな方法(ときには暴力的、ときには体系的に)で従属的な立場に追いやってきました。ジェンダー差別が強く残り、その結果、選挙で女性の声が届かなくなってしまったのです。
ザンビア選挙管理委員会の平和・紛争マネジャーであるムーンデさん(50歳)は、「女性は選挙プロセスに公平に参加できていません」と話します。「女性が政治プロセスに参加しなければ、女性の不満は蓄積され続けるでしょう。今こそ、女性が政治的に立ち上がる時なのです」
ザンビアの最近の選挙は暴力や脅迫による影響を受けており、ムーンデさんは心を痛めています。ルサカ出身の彼は、人生の半分近くをザンビア政党間対話センター(ZCID)のコンサルタントとして過ごしてきました。ルサカを拠点とするこのNGOで、彼は政治家と面会してジェンダーの認識を深めたり、紛争への対応について人びとに研修を行ったりしながら、自由で公正な選挙を実現するためのインフラ構築に尽力してきました。20年の時を経て、ZCIDが提案した法改正案の多くが議会で可決されました。
変化をもたらすには、自分たちには何かを得る権利があるということを知ってもらう必要があります
Jew Moonde
しかし、女性を政治活動に参加させることは、ムーンデさんのミッションの一部にすぎません。彼は、若い世代にも参加してもらいたいと考えています。「ザンビアの政治は、主に年配者たちで牛耳られている」と、心理学と平和・紛争研究の学位をもつムーンデさん。「失業中の若者は暴力の実行者であり、被害者でもあります」。ZCIDでは、若者の関心を引くために、ソーシャルメディアでの情報発信や、若者向けのコミュニティラジオ局の運営に力を入れています。「変化をもたらすには、自分たちには何かを得る権利があるということを知ってもらう必要があります」
ムーンデさんは、平和フェローシップ期間中に計画通りに進んだ場合、ZCIDを法定機関にするための知識を身につけたいと考えています。これは、ザンビアの政治における対話と調停のための公式プラットフォームを提供する恒久的な平和体制です。「政治家が話したり、若者が表現の権利を行使して話したりするのを耳にするようになりました」とムーンデさん。「それは、私たちの活動がインパクトを生んでいることを示しています。自分たちでやらない限り、誰もザンビア人を助けることはできません」
ポール・ムシャホ(Paul Mushaho)
世界には11,000以上のローターアクトクラブがありますが、そのうちの一つがアフリカの難民居住区にあります。2016年にウガンダ南西部の大型の難民キャンプであるナキバレには、コルカタとほぼ同じ面積に広がる75以上の村に約15万人が暮らしています。クラブには、アフリカの6つの国からメンバーが集まっており、「ナキバレはミニ国連のようなもの」と、クラブの共同創設者であるムシャホさんは話します。「戦争で家を追われた人たちは、トラウマを抱えてここにやって来ます」
ビジネス情報システムとコンピュータエンジニアリングの学位をもつムシャホさんは、2016年、マイマイ民兵組織から死の脅しを受け、母国のコンゴ民主共和国を脱出しました。ナキバレに到着して間もなく、ムシャホさんは難民の生活の質を向上させる機会を見出しました。彼の初期のプロジェクトは、送金サービスとハチミツを販売する養蜂事業でした。そして、この2つのプロジェクトが、カンパラのロータリアンの目に留まりました。
間もなく、米国難民委員会(現在のAlight)やウガンダとミネソタ州のロータリークラブの支援を得て、ムシャホさんはナキバレにローターアクトクラブを立ち上げました。ローターアクトクラブの会員は、農業や石工の技術を教えたり、木を植えたりしているほか、女性のためのコミュニティセンターを設立したり、孤児を引き取った人たちに毛布やマットレスを届けたりしています。ムシャホさんは、クラブが行っていることは、人びとが地域社会で行っている活動に対する感謝の印だと話します。
29歳のカリスマ的存在であるムシャホさんは、人を助ける方法を探す能力が優れています。難民キャンプの高齢者が疎外されているのを見て、彼らが元外交官、エンジニア、教師、医師としての経験を生かせるような昼食会を企画しました。また、国籍の違う若い難民が交流していないことを知り、サッカー大会を開催しました。最近では、ナキバレでの新型コロナウイルスの蔓延を防ぐために、14,000枚のマスクと8,000個の石鹸を作って届けました。ムシャホさんは、希望を失った人たちに希望を与えるために活動していると話します。
2018年、ムシャホさんはナイロビの国連アフリカ本部に招かれ、6人の「ロータリーの世界を変える行動人:ヤングイノベーター」の1人として表彰されました。彼はスピーチを行い、「私たちの難民コミュニティは、地域の課題には地域の解決策が必要だと気づいた」と語りました。「私たちは物乞いではなく、変化とインスピレーションをもたらす世代です」
ムシャホさんはマケレレ大学で、難民キャンプで過ごした環境を振り返ります。そこでは多文化を背景とする革新的な人たちがアイデアとエネルギーを持ち寄り、平和の推進を阻む壁を壊す方法を模索していました。「このフェローシップは、私がキャンプで行っている活動と密に関連しています」とムシャホさん。「帰国後は、コミュニティの規範や信念に基づいて、さまざまな課題に取り組む方法を知ることができるでしょう。私の夢と希望に光がさしました」
キャサリン・ベイン-オムギシャ(Catherine Baine-Omugisha)
「落ち着かなければ、誰も何もできない」と、キャサリン・ベイン-オムギシャさんは述べます。この45歳のカンパラの弁護士は、専門である家族問題における争いの緩和と適切な解決について言及しているのですが、それは彼女自身について語っているのかもしれません。
穏やかな物腰と現実的なアプローチで、ウガンダの男性中心の法律の世界で活躍し、判事、講師、法務・憲法省の技術顧問を経て、現在はカンパラにある自身のコンサルティング会社で個人事業を行っています。
このような状況でも、彼女のアプローチに代わりはありません。それは、「耳を傾け、人を励まし、解決策を模索する。新しい方法を模索することに前向きになり、試してみる。うまくいったら、それを受け入れる」ということ。ウガンダ南部のマサカ主席判事裁判所で判事を務めていた2000年、彼女は「Chain Linked Initiative」と呼ばれる試験的プログラムに参加しました。このプログラムは、刑事司法へのアクセスを強化するため、警察、検察、刑務所、保護観察官、福祉機関、司法の間での協力を促すものでした。その効果は絶大で、全国的に展開されました。
私一人の力でウガンダの方向性を変えることはできません。しかし、一般市民の人権に対する考え方を変えるために私が介入することは、良い貢献になるでしょう
Catherine Baine-Omugisha
平和フェローシップでは、この協力の精神をより大きなスケールで発揮できるようにしたいと考えています。「現在ウガンダでは、法の支配の尊重、人権の尊重、汚職などの問題に直面している」と語るベイン-オムギシャさん。彼女が最も懸念しているのは家庭内暴力です。これは、文化やジェンダー上の偏見、経済的な困難、家庭内暴力を生む要素についての認識不足など、さまざまな要因が絡み合って生じている問題です。その原因や影響、法律や政策の枠組みについて地域のリーダーたちに教育を行うことで、事後的な対処ではなく、予防に焦点を当てていきたいと考えています。
アフリカ南部には「あなたがいるから私がいる」という概念があります。これは、誰もが一人では存在できないということを教えるものです。ベイン-オムギシャさんは、このフェローシップを通じて、この概念に平和を築くアプローチとしての価値があることを再認識し、それを実行に移すつもりだと話します。「私一人の力でウガンダの方向性を変えることはできません。しかし、一般市民の人権に対する考え方を変えるために私が介入することは、良い貢献になるでしょう。多くの人がそうすることで、大きな変化をもたらすことができます」
フィキリ・ゾイセンガ(Fikiri Nzoyisenga)
子どもの頃、ゾイセンガさんがお皿を洗うと、「それは女性がすること」だと、いつも友だちに笑われたそうです。彼は肩をすくめました。彼の家では、父親と継母が料理やその他の家事を分担していて、家事も女の子と男の子で分担されていました。「私の家は標準的ではなく、よそとは全く違っていた」と彼は言います。また、別の点での違いもありました。父は多数派のフツ族、継母はツチ族で、二人の結婚は禁じられていたのです。「それでも両親は結婚し、それで問題ないことを示そうとしました」
家父長制が強いブルンジでは、彼の家族の挑戦的な姿勢は大きな印象を与えるものでした。ブルンジの3つの州で活動している、ブジュンブラを拠点としたジェンダー暴力に反対する若者の連合体「Semerera」の創設者兼事務局長であるゾイセンガさん(36歳)は、「父と継母に育てられたことが、自分の人生を形成した」と語ります。「私のコミュニティの女性たちは、女性が男性よりも劣っていると考えるブルンジの文化に関連して、多くの困難に直面していました。だから私は、女性の権利を擁護する人になりたいと思ったのです」
ブルンジやコンゴ民主共和国での内戦を含む不安定な幼少期を乗り越え、法律を学び、女性のエンパワメント団体でボランティア活動を始めたゾイセンガさん。そんな彼が地域のまとめ役になるのは時間の問題でした。彼はSpark MicroGrantsを通じて、ブルンジ国内の20以上の村の約3,000世帯を支援するプログラムを指揮しました。また、14人のチームで、社会経済的な取り組み、リーダーシップの強化、虐待や差別の被害者に対する無料の法的支援などを通じて、8,200人以上の女性と少女を支援してきました。
ゾイセンガさんは、変革を生むもう一つの重要な要素として、ジェンダー不平等について男性を教育することの重要性を見逃しません。「すべての人が尊厳をもって生きる機会、そして地域社会の発展に貢献する機会を生みだせなければ、平和を語ることはできません。私たちは問題の一部なのですから、解決に参加しなければなりません」
平和フェローシップを修了したら、ブルンジの2州に活動の場を広げ、平和的な共同生活、結束、人権をテーマにしたキャンペーンを通じて若者を指導していくことを予定しています。「父は、私に寛容と受容、そして違いがあっても人を尊重することを教えてくれた」と彼は話します。「やがて、ブルンジの多くの男女が、物事を変えなければならないことを理解するようになることを願っています」
マケレレ大学での10週間のセッションを終えた平和フェローたちは、ロータリーの新しい平和センターで過ごした日々について報告してくれました。少なくとも、彼らはそうしようとしました。ルサレさんは、「これがどれほど素晴らしい経験だったか、言葉では説明できない」と話します。「フェローシップのおかげで、平和ジャーナリズムという社会変革のイニシアチブを追求する決意が固まりました。考えがようやく形になってきました」
ムーンデさんは、平和構築と紛争解決のための「理論的なアプローチを理解するための実践的な経験」を共有してくれた先生たちを称賛します。ムーンデさんによると、そのアプローチには、実業界で用いられている分析手法、経済平和研究所(ロータリーのパートナー機関)代表者によるセッション、ウガンダ北部のアチョリ族が行っている苦い薬草を飲む儀式などの先住民の伝統、などなど、さまざまなインストラクションが含まれています。
新型コロナウイルスの影響で予定されていたルワンダへの渡航は中止となりましたが、ウガンダにある、南スーダンとの国境近くにある難民居住区を訪れたり、Ududa地区で発生した地滑りの被災者と面会するなど、現地で活動する機会が多くありました。「移民や環境災害、ジェンダー暴力などの影響を受けている地域で、平和構築や紛争解決に向けた活動を行うことができた」とベイン-オムギシャさんは述べています。
マケレレ大学平和センターで学ぶその他の平和フェロー
Olusina Ajao
ナイジェリア:セキュリティと危機管理
Eleanor Curl
英国:心理社会的支援とトラウマ治療
Sunny Dada
ナイジェリア:紛争解決と暴力防止
Ronald Kasule
ウガンダ:障害者の権利とインクルージョンの提唱
Pinkie Mothibedi
ボツワナ:地域社会のエンパワメントと社会正義の実現
Stephen Sempande
ウガンダ:若者の保護と社会サービスの発展
Thomas Sithole
ジンバブエ:メディアと情報リテラシー
Nobantu Taylor
リベリア:市民社会の関与とスキルの向上
Amina Warsame
ソマリア:ジェンダー平等と人権政策
また、新たな平和フェローのカウンセラーとなる委員会と協力する地元ロータリアンとも交流を深めました。「彼らはカンパラを案内したり、自宅やクラブに招待したりしてくれた」とンクツさん。「紛争の歴史をもつ国に住みながら、ロータリアンはどのように関与できるのか明確ではありませんでした。しかし平和センターでは、ロータリアンも平和と紛争予防を推進するさまざまな方法について学ぶことができ、関心が高まっています」と述べています。
「フェローたちはとても温かい」と、ンカバラさんは付け加えます。「彼らはすぐに、互いに馴染んでいました。性格や文化の違いを利用して、互いをサポートし合っています」。この仲間意識、つまり文字通りの親睦は、2021年にそれぞれの国で活動するときの支えとなるでしょう。また、マケレレ大学の今後のフェローたちのモデルにもなるでしょう。
「マケレレ大学に平和センターがあることは、アフリカにとって大きな意味がある」と、ムシャホさんは語っています。「アフリカの人びとにとって、平和センターは、平和がすべての発展の基礎であることを理解する素晴らしい機会です」
平和フェローたちは、2022年初頭にマケレレ大学に戻ってきます。それまでにフェローたちが何を達成するか、そしてロータリーとアフリカの未来に何が待っているのか、そのときに確認しましょう。
すべてのロータリー平和センターにおける2023-24年度フェローシップの申請は、2022年2月に開始されます。候補者は、2022年5月15日までに必要事項を記入した申請書をロータリー財団に提出してください。地区は、7月1日までにロータリー財団に推薦書を提出しなければなりません。