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ロータリーの歴史

4人のロータリー先駆者たち

4人のロータリーの先駆者:左より、ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム E. ショーレー、ポール P. ハリス。

1905年2月23日、 ポール P. ハリス, ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム E. ショーレーの4人が、ローアの事務所でロータリー初のクラブ例会を開きました。

「仲間のあいだで友情を深めたい」というハリスの願いの下に集まったこれら4人の会合は、今日、親睦と奉仕を中心とした国際的組織へと発展しました。

今回の「歴史に残る1ページ」では、これら4人のロータリー先駆者と、「第5のロータリアン」と呼ばれるハリー L. ラグルスについてご紹介します。

28歳のポール・ハリス(1896年)

若かりし頃のハイラム E. ショーレー

ロータリーの創始者、 ポール・ハリス は、1868年4月19日、米国ウィスコンシン州で生まれました。バーモント州に住む父方の祖父母に育てられ、バーモント大学プリンストン校およびアイオワ大学で学問を修めました。1910年から1912年にかけてロータリー会長を務め、1947年1月27日に他界するまで、シカゴ・ロータリー・クラブの会員でした。

鉱山技師であった ガスターバス・ローア は、1864年10月18日、イリノイ州カーリンビルで生まれました。ロータリアンだった期間はわずか数年で、クラブでも国際レベルでも役職に就くことはありませんでしたが、当時、彼の事務所であったシカゴ中心部のユニティ・ビル711号室で、ロータリー初の例会が行われました。ローアは1918年5月23日、シカゴにて他界しました。

ロータリアンとして数年間活躍した ハイラム E. ショーレー は、1862年6月にメイン州で生まれました。クラブの初年度には、書記係を担当しました。ショーレーは、1944年3月に亡くなりました。

シルベスター・シール (1945年12月以前)

ハリー L. ラグルス(1912年10月)

石炭商であった シルベスター・シール は、1870年、インディアナ州テレホートで生まれました。1905年にシカゴ・クラブの会長を、また1945年に国際ロータリー3代目となる財務長を務めたシールは、テレホート・ビジネス・カレッジで学び、米西戦争時には米国陸軍に勤めました。また、1902年から1939年にかけては、シール石炭商社の会長として活躍しました。ハリスと同じくシカゴ南部のサウスサイドに住み、ハリスの生涯の友となったシールは、1945年12月17日にその生涯を終え、マウント・ホープ墓地の、のちにハリスが眠ることとなる墓の近くに埋葬されました。

ミシガン州出身の ハリー・ラグルス は、イリノイ州エバンストンにあるノースウェスタン大学を卒業し、第2回目の例会からロータリーに加わりました。ロータリーで歌を歌うという習慣を最初に始めたラグルスは、会員初年度にシカゴ・クラブの会計を務め、1908-1910年度にはクラブ会長、1912-13年度にはロータリー理事を歴任しました。彼の印刷会社であるH.L. Ruggles & Co.によって、最初の 「The National Rotarian(ザ・ナショナル・ロータリアン))」誌とロータリー歌集が出版されました。地元シカゴ・ロータリー・クラブに加え、7クラブの名誉会員であったラグルスは、1959年10月26日、その生涯に幕を下ろしました。

シカゴ・ロータリークラブが1905年10月にこの会員名簿を発表したところ、クラブは2名の名誉会員を含め、会員21名にまで成長しました。